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大谷鬼次の奴江戸兵衛

東洲斎写楽

世界中の画家で、すぐれた作品を数多く描きながら、写楽ほどその伝記に疑問を多く残している作家は珍しい。その生没年はもとより、浮世絵画壇への登場の契機も、その退場前後の事情も、はなばなしい作家活動に比して、全く知られていない。彼は寛政6年5月の江戸三座(河原崎座・桐座・都座)の狂言の役者絵に筆を染めてから、140数枚の作品を次々発表し、翌7年1月の狂言の役者絵を最後に、忽然として画壇から姿を消した。
彼の作画期間も古くは『浮世絵類考』の「長く世に行はれず、一両年に而止ム」の記事から、三馬の「わつかに半年余行はるゝ而巳」の『類考』書き入れをはじめ多数の研究者によって議論された。クルトはその期間を前後9ケ月とし、井上和雄は1年4ケ月と推定したが、現在では寛政6年5月より約10ケ月の作画期間が、最も妥当とされている。その作品数も133枚説、139枚説、144枚説などがあるが、想定枚数をも含めて140枚前後と仮定しておこう。
写楽が何故に短期間しか制作しなかったかについても各種の想像がなされている。通常、処女作品あるいは出世作というものは、どこかぎごちなさを持つものであるが、写楽画に限って、最初の作品が最も芸術的にも、技術的にも優れている。『類考』には「あまりに真を画かんとてあらぬさまにかきなせし故」に世の不評をかい、浮世絵界より追放されたと理由を述べているが、それも一理あろう。歌麿は、役者は美男の血統から生まれるものだからその役者絵は美男に描かねばならないといっているし、清長・春英・春好の役者絵は、それぞれ形式的な美しさをもっている。ところが写楽の役者絵はどうであろうか。舞台上の瞬間の表情を印象的に描こうとする結果、その描写は表情の特長に集中されて、役者自身の美顔を目的とはしない。ここに当時不評をかった原因があった。
寛政6年5月の狂言を描いた大谷鬼次の奴江戸兵衛の表情を見ても、ゆすりたかりをしそうな悪玉の面構えこそ見られ、決して鬼次の美顔はない。つり上がった眼、への字に結んだ口、とんがった鼻などは、鬼次の肉体的な性癖と、役柄を、極めて印象的に描いたもので似顔絵としては最高の芸術性を示すが、当時の美顔的役者絵の範疇ではない。腹をへこませ、肩を突き出し、両手をパッと開いた姿もまたこの悪玉の役柄と、瞬間的表情の把握という点では殆ど非難するところはない。

画面寸法
39.0×25.5cm
額寸法
55.5×40.0cm

大谷鬼次の奴江戸兵衛
UK-AD-001

29,800 円 (税込)

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